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データの境界

なんちゃって理系がデータ分析業界に入ってからの汗と涙の記録。

全てが可視化される"インターネット的"な世界

自分が今のように熱狂的にインターネットを好きになり触り始めたのが19歳ぐらいのころ。それから今まで、10年も経っていないことに驚くのだが、そんな自分たちの会話の中で「インターネット的」という言葉を割と使う。

使っている自分でさえ、その言葉の詳細な定義をすぐに述べることはできないが、自分の中では確固たる明確な判断をもって「これはネット的ではない、これはネット的」という区別がある。

そんな時に、今よんでいる本に「インターネット的」と言う言葉の定義が載っておりそれが面白かったので紹介したい。

 

ぼくらの仮説が世界をつくる

ぼくらの仮説が世界をつくる

 

 この本では、「インターネット的」ということを、

「インターネット的」な世界では、全てのことが可視化されます。

 と表現されている。

今の時代は情報量が膨大すぎて、コントロールしたり隠したりすることが不可能になっている。むしろ、何かが隠されていそうなら、インターネットの住人がどこからとも無くそれを探し当て、SNSなどによって"可視化"します。

「インターネット的」というのは一瞬にしてシェア、拡散、分散などが行われて"可視化"されることを指す、ということかと思います。

たしかに、脳と脳が直接繋がって、物質を介さなくても"情報"だけをやり取りできるテレパシーみたいな技術が存在しない現代では、「情報を共有すること」はイコール「情報を可視化すること」かもしれません。すべてが可視化される現代において、「評価経済」と呼ばれるようにネット上の自分のイメージは現実世界にも影響をあたえるほど重要ですし、何か不正を働けばインターネットに寄って一瞬に露呈・炎上します。そういったことを前提として、現実世界においても自分たちの所作、発言、身の振り方、他者との関わり方を考えなければいけない時代なのですね。究極の公平とも言えるような、相互監視社会とも言えるような。。。

 

以下の記事に紹介されている、"After School"というアプリなんて、本当に何もかも、重要な事もゴミのような情報もすべてが可視化されるということを訴えているように思えたり。全てが可視化された時、ヒトの生活や精神構造はどうなっているんだろう

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