データの境界

なんちゃって理系がデータ分析業界に入ってからの汗と涙の記録。

"データから作られた子供"をメディアアートで考える

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メディア芸術祭「(不)可能な子供、01:朝子とモリガの場合」という作品を見た。

festival.j-mediaarts.jp

現在のテクノロジーでは同姓の親から子供は生まれない。それを、"遺伝子情報的"に生まれうる子供の容姿を画像化した作品。研究レベルでは、卵子から精子を作成することにも成功しており、iPS細胞などの再生医療系の研究が進歩すれば、将来的には技術としては同姓の親から子供を作ることが可能になる可能性は高い。もちろん問題になるのは倫理面なのだが。

 

上記の受賞作品紹介ページよりも、作者が用意した以下のページのほうが作品の詳細を知れる。

(Im)possible Baby, Case 01: Asako & Moriga | Ai Hasegawa

 

いちおう、遺伝子情報学(バイオインフォマティクス)に関して修士号を持っている身なのでもちろんこういったネタには非常に興味がある。なので、作品を見た個人的な所感をまとめてみると

  • 作者の言うとおり、遺伝子情報だけで子供の容姿、能力などを予想することは現状のテクノロジーでは非常に難しい。画像化された容姿はフィクション/空想のキャラクターレベルで考えたほうがよさそう(精度の低さから"占い"と揶揄される程度)
  • 容姿のモデリングも、遺伝子情報(SNP)だけから変化や予想をつけることは確かに難しい。このモデリングは結局、3Dで「親と似た顔」を作成しているだけになってしまっている感じがする
  • しかし、作品制作のプロセスとして、23andMeでの遺伝子情報をベースにし、論文を参照し、SNPediaで比較し、prometheaseも活用している点は「真面目に」遺伝子解析をテーマとしている取り組んでいる印象を受けた。これらのツールはアカデミックの世界でも使われている。そしてテクノロジーの精度に関しても不明瞭であることを明示している点も良い。
  • そして、さすがに全体的な完成度がすごく高い。アーティストすごい。画像化されたものも、作品紹介サイトも、NHKでのプロモーションも全部ステキ。一般の人でも子供の容姿モデリングを試せるように専用のサイトに実装されているのがさらにステキ。

この作品では容姿のモデリングを「親の顔」をベースに作成しているが、こちらのブログに紹介されているように、凍結遺体から採取した遺伝子情報から容姿のモンタージュまで行った研究がnature紙に論文掲載されている例もあるので、「遺伝子情報から作成された容姿なんて当たらない」と一概にいうこともできない。

なので、メディアアート(?)として、「同姓の親から子供が生まれる技術ができたときに本当にそれを実行していいのか」という議論のたたき台として、未来の夫婦の姿のようなものが可視化された価値はやはり大きい。

同じように、遺伝子やそれを扱う技術、倫理、生や死のあり方を考える題材としては、亡くなった人の遺伝子を木に組み込むプロジェクトよりも個人的には興味深い。

この課題を高いクオリティーで視覚化されたインパクトは一般の人にもかなり響くようで、展示品の前には人だかりができていた

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NHKでこの話を取り上げられた時もネットでは盛り上がってたらしい。

togetter.com

ただ、ネットでの意見を覗いてみると、「"本能的に"私はこう思う」という意見ばかりだったように感じた。

いろんな引き合いを出しつつも、意見の根っこは「本能的に同性愛は理解できない」「本能的に感動した」に分かれている気がする。そもそも「好き」とか「子供が欲しい」という考え自体が本能的なのでしかたないのだけど。

その中でも、「作られた子供が幸せだと思うか」という意見は面白かった。書いた人は「同姓夫婦がお互いを愛し合っていること」「夫婦が笑顔でいること」が子供の幸せだから、それを満たせていれば男女の夫婦と同じだ言っているが、自分はそうは思わない。日本ではその子供はほぼ確実にいじめの対象になったりするだろう。

渋谷区役所で同姓の婚姻届受理などが始まったりしているが、日本は同姓愛を本質的に理解し受け入れている人が多いとは感じられない。例えば、Appleの現CEOはゲイであることを公開し、それ以後もCEOでいるが、仮にトヨタの社長が同性愛者だと公開すれば社長から引きずり下ろされそうだし株価も下がりそうだ。ありありとそういった状態が想像できる。少なくとも「よく恐れずに公開した」とポジティブに取る人は少数だろう。日本にはマイナーや多様性を受け入れる文化がないと個人的には思っている。

結局、「卵子や体細胞を工学的にイジッて子供を作るのはアリかナシか」の帰結は有識者たちによって問答無用に決められる。「遺伝子をイジッて子供を生むことにどんなメリットとデメリットが存在するか」なんて、専門的な知識によってのみ知覚されるのだから。そういった意味では、世論をざわざわさせるだけのメディアアートにはどういった意味があるのだろうかと考えさせられる。

 

将来、同姓カップルからも子供はうまれるだろうか?

個人の意見としては、おそらく実現されるのだと思う。人は技術があれば"行使する"存在なのだから。問題を考えるのは、問題が起こった後だし、後悔するのは今の自分ではなく、未来の自分なのだから。一般の理解や世論が追いつかないうちにとりあえずやっちゃうのだろう。

 

  

P.S

この作品の「贈賞理由」にも面白さを感じた。以下コピペ

審査会で議論になった作品である。ヒト遺伝子操作の是非と、愛と、アートの役割という題材の強さ並びに現実との接続や論文参照の努力は、いかにも優等生的で、ポリティカル・コレクトネス(社会正義)的な手法をとった芸術の一例だ。家族写真としてのセンスは最大公約数的で、同性婚問題としてはここのみが解決点ではないだろう。本作を取り上げたテレビ番組には多大な訴求力があり、出演タレント自身も含めSNSで多くの人々が感涙した事実が確認できるが、構図としては、ゴーストライター騒動で話題になった人物が、嘘をつきながらも人々に感銘を与えたことと似る。つまり本作では、遺伝情報の解釈は作者の言うとおり占い程度、すなわちフィクションだが、SFを美術に仕立て問題提起を装いつつ、虚実ないまぜに人々を感動させるプロジェクトだとすれば、美術としては嫌悪感を抱かれかねない前述の指摘はすべて、むしろ称揚されるべき諸点へと反転する。この構造を評価した。(中ザワ ヒデキ)

頭がよろしくないのでちょっと意味がわかりにくいが、つまり「優等生すぎるベタな題材と手法だったので評価として微妙だったが、テレビ出て話題になったし、遺伝子というよくわからないもので前衛的に問題提起して界隈をザワザワさせたのでおk」ということ?美術というか芸術というかメディアは難しいですね。