データの境界

なんちゃって理系がデータ分析業界に入ってからの汗と涙の記録。

人工知能(ロボット)に最後の方まで奪われない仕事は何か?

なんだかこんな感じの記事をよく見るのでそのネタを一つ。

ideasity.biz

blog.btrax.com

 

実は最近、人生で初めて入院することがありました。隔離が必要な病気だったので一週間部屋から一歩も出られず、会話を交わすのは基本的には看護師さんと医師です。医師は忙しいので要件と簡単なやりとりを終えるとせわしなく次の患者さんのところへ向かわれます。看護師さんは点滴や体温・血圧測定、聴診器で肺の音を効く、検査用の採血、配食、夜間の見回りと部屋から一歩も出られない自分の身の回りのお世話をしてくれており、自然と接触する機会が多かったのですね。

そんな感じで日がな一日ベッドの上で寝てるだけで、看護師さんが一生懸命お世話してくれるのですが、そんな様子を一週間眺めているとこの「看護師さん」の仕事はきっと最後の方までロボットに代用されないだろうなと思ったワケです。

何故か?

 

・病人の微妙な機微に反応してくれる

「体調が悪い」と伝えると少し心配したトーンで「大丈夫ですか、薬もってきますね」と言い、自分のために急いで対応してくれる。結局ヒトは本質的にはヒトに心配してもらえることを嬉しいと思い、またそこから相手への信頼感が生まれているのだと感じます。こういった患者の言葉や、表情や、声の変化の機微を察して、相手を安心させるようなリアクションが「看護師ロボット」に再現できるのでしょうか。ロボットの「ヒト化」する進化は凄いので「絶対に出来ない」と断言することもできませんが、やはり難しいのは間違いないと思います。

 

上記は自分の体験と意見がふんだんに入っていますが、取り上げたリンク記事の内容を自分なりにまとめてみると、ロボットがヒトに勝てない(代用できない)のは以下の二点の要素が大きいと思うのです。

  1. コミュニケーション
  2. 責任問題

1の「コミュニケーション」は先に上げた自分の体験からも、やはり最終的には人間と人間が会話しないと解決できないよね、という話が沢山転がっている気がします。そしてそこには「気分」のような、ロジカルに割り切れない要素も当たり前のように含まれているので機械化が難しいところでもあります。(「気分」とは例えば、男性看護師より女性看護師に対応してもらったほうが安心感を感じる、みたいなことです。よく言われるのは、看護師が異性かどうかとは関係なく、「母性的なものを感じる」といった理由で女性看護師が良いという人がいるそうです。まぁこれはもう人それぞれということで。)

2の「責任問題」は1とも一部話が被るかもしれませんが、結局何かの仕事を人間が行なおうが機械が行なおうが何かしらの過失が発生した時に「誰が責任を取るのか」という問題があります。もちろん機械に責任は取れないので、「自動運転」や「医療」などヒトの命が絡む場にはなかなか機械を導入できないという背景があります。

仕事内容的に1も2も満たす「看護師さん」はロボットに仕事を取られにくいと思ったわけです。

 

他に、機械に最後の方まで取って代わられにくいだろう仕事

整体師(マッサージ師?)なども意外と機械に仕事を取られなそうです。それは整体師が直接人間の体に触る仕事だからです。

おそらく人間の体が外部からどういった刺激を受け取り、どういった反応を起こしているか完全に数値化できないとロボットに整体師のように快適な「マッサージ」は不可能だと思います。「マッサージ」という作業は、ロボットの出力、人間の手のような擬似触感、そしてのマッサージを受けるヒト側の「快適さ」などをすべて数値に落とし込まないと実現できない、じつは最高に難しい領域なのかもしれないですね。

 

2つめのリンクには

新たに創出される仕事の7割は「人間的な仕事」

というフレーズがあります。

この「人間的」という言葉がまた難しい気もしますが、「コミュニケーション」「(責任問題を含めた)意思決定」「物理的に接触するかどうか」などは、今後の人間が行う仕事として重要な要素になる気がしますね。