データの境界

なんちゃって理系がデータ分析業界に入ってからの汗と涙の記録。

【ネタバレ注】『AIの遺電子』という漫画が好きすぎるので勝手に解説していく(1巻・2巻)

職業柄、人工知能に関する話題を見聞きしたり考えたりする事が多いのですが、そんな話を知人とする時に必ずおすすめしているのが『AIの遺電子(あいのいでんし)』という漫画です。人工知能に関して知識がない人でも簡単に読めて、でもストーリーは深いという秀逸な漫画です。今はAI好きな人達の間で話題のようですが絶対にもっと流行ると思います(夜中の放送枠で実写ショートドラマシリーズ化とかになりそう)。(追記:と思っていたら今年の『このマンガがすごい!2017』のオトコ編14位に入ってたのですね!)

ざっくり言うと、「人工知能専門医ブラックジャック」的な漫画です(ブラックジャックは読んだことないんだが…)

人工知能ヒューマノイドが当たり前に存在する社会になったらこんな問題が起こるよね』という話をこれでもかというくらいリアルに、細かく、引き込まれるショートストーリーで読める漫画です。「人工知能が完成したら人間が滅ぼされるんでしょー」とかしか言えないおっさん方はぜひ読むべきです。

医師である人間の主人公とその助手のヒューマノイドのヒロイン(?)というメインキャラとメインストーリーがあるものの、基本は短いオムニバスストーリーになっているので途中からでも読みやすいです。

深い問題提起をして唸らせられる回もあれば、ほろりとする回もあって読み始めると時間を忘れて引き込まれます。短編小説を読んでいるような気分。
専門知識もいらないので「人工知能、気になってるんだよなー」みたいなライトな人も勉強も兼ねて気軽に読んでみてはいかがでしょう。

 

以下の世界観の設定さえわかっていれば楽しめます。

人間…普通の人間。しかしインプラントなどで部分的に機能拡張している人間が多いという設定らしい(攻殻機動隊でいう「電脳」的な感じっぽい)

ヒューマノイド…人格や心を持つほぼ人間と違わないAI。イメージ的にはドラえもん鉄腕アトム的な感じ(しかし体は代謝機能を備えているのでもっと人間に近い)。
人間と同じ権利も認められいるし、人間と結婚することも出来る(しかし人間との間に子供を作ることはできない)。
頭を損傷しない限りは死なないらしく、体は代用可能。しかし人格のコピーを取ること(首より上をイジること)は法律で禁じられているという設定。”ロボット”とは明確に区別されている。瞳の形が違うので、一応外見で人間かヒューマノイドかを識別することができるという設定。

(商業用)ロボット…特定の産業や目的に特化された存在であり産業機械的な立ち位置っぽい。ヒューマノイドが持つような権利も無いらしい。しかしヒューマノイドの脳構造の知見を活かして製造されているため人やヒューマノイドに近い振る舞いはできる。人間やヒューマノイドには「心」があるが、ロボットには無いよね、という区別があるらしい。

 

このエントリーでは、それぞれのストーリーにおける主題について言及したつもりなので激しいネタバレは無いはずですが、まっさらな状態で漫画を楽しみたいという人は読まないほうが良いかもです。

ではストーリーです!

 

第1話 バックアップ
自分の人格をコピーして「もう一人の自分」が出来ることに対する問題。つまり「私とは何か」という同一性やアイデンティティーに対する問題について。第1話目にこのトピックをもってきた時点で、「この漫画は絶対に面白い」と確信した大好きなお話。
自分の分身ができるなら良いんじゃない?と思うが、『地球上のどこかに自分と全く同じ容姿・記憶の人間が仮にいた場合、そして相手が自分を殺しに来たときでも、全く同じ”自分”がいるのだから自分自身は死んでもいいと思えるか?』という問に対しても同じ回答ができるかどうか。漫画「亜人」でも不死の人間が脳を破壊されたあとに再生される自分も”自分自身”と言えるか?そこでは”スワンプマン”が引用され、また、攻殻機動隊でも”ゴーストダビング”として同じ内容に対する問題が引き合いに出されている。「AIの遺電子」でもヒューマノイドの人格コピーは法律で禁じられている設定になっている。この後の話にも断片的に出てくるが、どうやらこの第1話のこのトピックが主人公の医師の過去に関するメインストーリーにも関係しているっぽい。

第2話 かけそば
人間とヒューマノイドの違いやその限界について。「人間の芸」である落語家を目指すヒューマノイドが、自身が本物の人間でないので”本当の落語”なんか出来っこないと葛藤する話。オチが秀逸。
『真実味ぃ?知ったような口きくんじゃないよ!いっぺん死ななきゃ幽霊役は出来ないってのいうのかい?』というセリフが好き。

第3話 ポッポ
「心とは何か」について。人工知能が発明・発達し、人間の脳機能の多くが理解されたとしても「心」とは何かを理解するにはもっともっと先なのかもしれない。ヒューマノイドや人間の「心」に関するストーリーはこの後も何度も登場する。
『そもそも心なんて誰にもないかもしれんぜ』

第4話 恋人
人間とヒューマノイドの恋について。「AIの遺電子」の設定では人間とヒューマノイドの間には子供は作れず、養子縁組で人間orヒューマノイドの子供を迎え入れて家族になるという設定(リアルの世界もそうなるだろうなぁ)。人間とヒューマノイドの間の”当たり前”と思う価値観は異なるはずだが、種や理屈を超えて同じ感情が湧き上がることもある、という話。

第5話 富豪の秘密
記憶能力を拡張し、全ての記憶を保持することができるヒューマノイドの苦悩について。
誰もが考えたことがある「見聞きしたもの全てを記憶する能力」をもし人工的に獲得するとどうなるかというストーリー。脳が本来持つ「時間が経つと忘れる」機能は我々が考える以上に重要で、神秘的で、軽薄で、適当で、しかしかけがえのないもの。

第6話 ベスト
第2話に似た人間とヒューマノイドの違い・限界・葛藤について、そして友情。自身の体について「性能を制限された機械の体には限界がある」とふてくされるヒューマノイドの話。ここでは「人間」と「ヒューマノイド」の対比だが、リアルの世界の人間同士であっていろいろな理由をつけて人間は「出来ない理由」を探している。人間とヒューマノイドならその意識(言い訳)の溝はますます深いものになるだろう。
『人間もヒューマノイドも怠け者だからな ベストを尽くすってのは至難の業だ』

第7話 ピアノ
人間の情緒について。人間は激情的に情緒が変化するが、それは見方によっては「個性」かもしれないし「治療すべき精神疾患」なのかもしれない。それらがプログラマティックに制御可能になる技術が確立した時、それでも人間は不安定な情緒を「個性」としてポジティブに受け止め、「治療しない」という選択をすることができるだろうか。

第8話 ミチ
「機械はただの道具であるか?」という問。主題は、「いや、人間は機械をその価値以上に認識している(認識してしまう)」という反語。作り物のおっぱいにも男性は生理的に反応してしまう、人と機械に対する認識の切り分けはそう簡単にできない、という話。主人公の医師の過去に言及するメインストーリーの一つにもなっている。

第9話 夢のような母性
AI社会における心の怪我とそのケアについて。AIによって人間やヒューマノイドは心理状態さえも詳細に観測・解析されるようになるのであれば、それをケアする最善の方法もAIによって提供される。AIは人間の心理士よりも正確に、早く、安全にケアをすることができるが、そんな「夢のような解決法」に頼りきって良いのだろうかという問題提起。ここでも「心」がテーマになっているような気がする。

第10話 海の住人
人間そっくりに作られ、人間社会に生きるように強制されるヒューマノイドの苦悩について。人間同士でも社会に馴染めず”引きこもり”、”一匹狼”や”アウトサイダー”になる人がいるのだから、人間として生きることに疑問を持つヒューマノイドはリアルでも現れそう。そんなお話。
『人間をそっくり真似るなんて、機械にとっては随分無駄なことだと思わない?』

第11話 寡黙な彼女(ここから第2巻)
体と心のチグハグ差について。事故によってまともに喋ることも出来ない不便な体になったが、逆に互いの気持ちを読み取りケンカもしなくなって関係が良くなったカップルの話。もしくは「制限があるからこそ本質が見える」というような話にも思える。
『口が回りすぎるとさ キャッチボールじゃなくてドッジボールになっちまう』

第12話 俺の嫁
ヒューマノイドに似せた商業用恋人AIの愛や恋の話。恋愛状態やそれにまつわる行動を”人間と同じように”精度良く再現するロボットがいたとして、そのロボットの行いはアルゴリズムによる行動だと人間は割り切ることができるだろうか。いや、きっと出来ずに人間はそのロボットに「本当は心があるのでは?」と感じ本物の恋人と同じように接するだろう。商業用恋人AIはかならず実現する、そうしたときにそれを「ありえない・気持ち悪い」と取るか、「今の時代はそういうもんでしょ」となるか、リアル世界はどちらに進むのか興味深い。
余談だが、この話に登場する「恋人ロボットに料理させるためにはそのスキルに課金してロック解除する必要がある」というプロットはエゲツないけど、リアルでも実際にそういうふうになるのだろうなと思えて苦笑してしまう。未来の課金の形。

第13話 運命の人?
好き/嫌いという感情はどのようにして生まれるか、について。
人間は知らず知らずのうちに、好きな/嫌いな食べ物、好き/嫌いな異性のタイプのように趣向が備わっていく。それはおそらく意識的に「好きになろう/嫌いになろう」としたわけではなく受けた教育や経験の中でいつの間にかそういうふうになっているもの。そうしたときに、もし他人によってあなたの「好き/嫌い」の傾向を誘導されるようなことが起これば自分の好き/嫌い判断をどのように解釈するのだろうか。いや、そもそも今の自分の好き/嫌いだって他人に植え付けられたもの(ex.昔の彼氏が好きだった音楽、など)が多分にあるはずなので、それを良い/悪いと判断すること事態が難しいのかもしれない

第14話 氷河を超えて
積み重なった時間の重みについて。事故によって時間が止まっていた男性ヒューマノイドと元恋人の女性ヒューマノイドが30年ぶりに再会する話。その間に女性の環境は変わり、元のように二人では過ごせないが、それを乗り越えまた人生を進める話。映画にありそうなプロット。

第15話 ファントムボディー
ヒューマノイドに起こる幻肢痛の話。攻殻機動隊ARISEでも「ファントムペイン」という話があったことを思い出す。
人間は物理的な体の調子としてはなんの異常もなかったとしても、精神・心理的な影響からくる不調には抗えない。(どれだけ空腹だったとしても失恋のショックで物が食べられなくなる、など)。それは機械の体を持った存在(ヒューマノイド)になったとしても同じなのだろう。ヒトは「心」というものをいつまでも完全制御できずに持て余すし、しかしそれこそがヒトという生き物だと思う。

第16話 じいちゃんのGちゃん
規定外の知性をもつAI(現行法律施工前に作られたAI)と社会の関係について。もしくは見た目だけで評価するという偏見について。
家族が大切にしていた「規定以上の知性を持つロボット」が世間(社会)に見つかってしまい、危うく処分されそうになるが、主人公医師の機転によって処分を免れロボットは家族のもとに帰ってくる。
“ロボットらしいロボット”に規定以上のAIが搭載されているのは法律違反となるし不気味に感じるが、生き物にそれっぽい知性が宿っているのは「普通」だと感じてしまう。それがたとえ両方に同じ知性が載っていたとしても。容姿を自由にデザインできる時代になったとしても、ヒトは「見た目」で判断を下し続けるのだろう。
『自由なロボより 自由な猫のほうが目立たないだろ?』

第17話 ホワイトデー
既製品と手作りの価値の違いについて。もしくはブランドやストーリーというものは人間だけが作り出せるという話。
電子メールと手書きのはがき。ビデオチャットとface to faceのコミュニケーション。口頭の告白とLINEでの告白。回転寿司と老舗の寿司屋。最終的には目的を達成する(限りなく)同じアウトプットになったとしても、それを達するまでの労力やコスト・努力・苦労などにヒトは価値を見出す(結果は大切ではない、過程こそが大切なのだ!というやつ)。ほぼすべての行為が自動化・デジタル化したとしても2/14に大好きな人には「手作りの」チョコを渡す文化はきっとなくならないように、「心を込める」行為はいつの時代でも何にも代用されずに残り続ける。
『旨い不味いでいったら何でもロボに作らせりゃ間違いないわけだ でも リサが一生懸命作ったっていうストーリーはロボットには作れない』

第18話 やり直し
結局、「人生のやり直し」なんて出来ないという話。
誰もが一度は考える「今の能力のままで、子供から人生をやり直せたら楽勝だったのに」という妄想(俗に言う『強くてニューゲーム』状態)は、ヒューマノイドになら可能かもしれない。しかし、結局自分ひとりが変わったとしても周囲との軋轢は常に生まれ続け結局はうまくいかなそう。そういう妄想は夢の中だけにしときましょうという話。

第19話 エモーショナルマシン
本当の自分の気持ちと、表面上の振る舞いを切り離すことについて。
人間でも、思っていることと振る舞いが違うこと、”ネコを被る”、ということはよくある。ヒューマノイドにおいては表情を機械的に作って人工的に”ネコを被る”ようにすることもできる(内面では怒っているのに、機械的に笑顔を作る、とか)。しかし技術的にそういう行いが可能になったとしても、心理との乖離が生まれ、やはり精神に不調をきたすようになる。わざわざ愛想を良くする、見せかけの振る舞いを良くすることを頑張らなくても、素の自分であっても、本当の自分を好きになってくれる人はどこかにいるよ、的な話にも思える。

第20話 お別れ
ヒューマノイドの死について。ひたすら悲しい話。
「AIの遺電子」では、ヒューマノイドは脳が傷つかない限り生物的に死ぬことは無いが、それでも脳の劣化によって人格が壊れ”寿命”を迎えるという設定になっている。それに対して”延命治療”も行えるが、裏を返せばヒューマノイドは人間以上に「死ぬ時期」をコントロールすることができるということ。ヒューマノイドとしての人生をいつ、どのように終わらせるか。死ぬ時期に対しても意思決定を求められるようになったとき、何を持って「自分の人生はこれで満足したのでここで終わらせよう」と決めることができるのだろうか。現代の日本でも終末医療や”終活”が話題になることがあるが、考えたくないが、考えなければいけない問題である。

第21話 シャロンとブライアン
人間・ヒューマノイド・商業用ロボットそれぞれの命の重さについて。
統計やデータ分析業界では有名過ぎる”Titanic”のデータセットでも自明であるが、タイタニック事故における高級な客とそうでない客の死亡率には明確な差があった。命の意思決定をするときでさえ、人は考える以上に人間を”区別”して取捨選択を行う。この話での”区別”は、人間>ヒューマノイド>商業用ロボットの順に命の重さを測られた。これは漫画の1ストーリーではあるが、トロッコ問題のようにリアル世界でも今後必ず顕在化するはずの考えるべき問題となる。

 

 

感想

そもそもなぜこの漫画がこんなに好きかというと、「とにかくリアルなところ」ということに尽きます。

今まで、「AI」が登場する近未来SF的な漫画はどこかしら突っ込みどころがあってそれが気になってしまうということがありました。

例えば、自分は『PSYCHO-PASS サイコパス』というアニメも大好きで、設定に登場する「スパコンが人間に”神”のお告げを出して行動を管理する社会」的なプロットは「そういうことも起きそう(というか既に社会の一部はそうなっている)」と思えます。
しかし、「(まだ犯罪などを犯していない場合でも、)心理状態や性格傾向を計測して将来的に犯罪を犯しそうな人を取り締まる」というプロットはちょっと行き過ぎているというか、「そんなことほんとに可能か?」と引っかかってしまうところがあります。

それに対して、「AIの遺電子」は、製作チームにAIや脳科学・人間倫理に詳しい人がアドバイザーとして入っているの?、と思える程に今後の社会にまさに起こりそうな具体的な話がふんだんに盛り込まれているように感じます。

個人的にグッと来た設定は、“超高度医療用AI”という存在を「治療は成功するかもしれないがその治療過程などは人間の解釈が難しい。コミュニケーションをとりながら納得して治療する、人の手による解決を希望するなら良い医師を紹介する(第3巻より)」的な説明をして位置づけているところとか、まさに医療AIと人間の医師の関係はそういうふうになるのだろうなと思えるところとかです(細かい)。

ドンパチこそ無いものの、攻殻機動隊のようなストーリーが好きだという人は好きな漫画になると思います。


2巻までの21話の内だと、個人的に好きだったのは
・第1話 バックアップ
・第20話 お別れ
です。
両方共使い古されたプロットだし、第20話はドベタな感じですが、他のストーリーの後でみると一層現実感や悲壮感が増すというか、このタイミングでずーんとくる話は心に残ります。

この漫画全体として、「人間とヒューマノイドの種としての差」そしてそこから生まれる「葛藤や偏見」、ヒューマノイド(AI)という存在によって顕在化した「人間とは何か」「心とは何か」「生きるとはなにか」という哲学チックな問いが全ての話に横たわっているのがストーリーに厚みを出しているように感じます。(そして、その合間にちょこちょこ登場するヒロイン(?)のリサに癒やされる。主人公の仕事をサポートする超高度医療AI“ジェイ”もなんだか好きなんですよねー。ジェイを敢えて擬人化せず、amazon echoのような無機質なインターフェイスにしているところもなんだか逆に好印象な感じです)

絵も、ストーリーも、読後感も、ボリュームも良い感じな漫画に久々に出会えて嬉しいです!
3・4巻ももちろん読んでいるのでいつかこの続きを書きたいです。

 

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